2008年12月13日土曜日

インド: リクシャードライバーたち

リクシャーはインドを旅する人の大切な足。リクシャーにはオートリクシャーとリクシャーワーラーとがある。どちらも三輪で前者はバイク駆動、後者は人力自転車駆動である。

旅行者料金をふっかけてきたり、頼んでもいない旅行代理店や宿に連れて行くのでこれらとのやりとりは大変である。デリーのリクシャーにはメーターがついており、メーターで走れば、遠回りしないよう監視すれば現地の値段で乗れるのでやりやすい。

私の心の中に完成したリクシャー利用のコツは
・ あらかじめ相場を知っておく(宿の人、通行人などに聴いておく)
・「前回は xxRpでここまで来たからそれで」で交渉が早くなることあり
・ 観光客専門でない流しを捕まえる。現地人を降ろした後に乗り込むとかがベター
・ 最初の交渉で面倒になりそうな人はさっさと捨てて違う人を探す
・ 行き先に何のために行くのか聴かれても答えない(答えるとウソ情報で惑わせたり余計な場所に連れて行かれる)
・ 行き先の方向を把握しておいて、おかしなところに向っていると感じたらすぐに釘を刺す


今回はそこそこ闘ったおかげで、行きたくない場所に連れて行かれるようなことは一度も起こらなかった。

以下、今回の旅でのいくつかのリクシャーとのやりとり実例を書いてみる。

オートリクシャー1 in デリー 「壊れたメーター」

T「○○までメーターで言って」
D「メーターは壊れている」(確かに電源が入っていない)
T「うそでしょそれ」
D「本当だ」
T「じゃ、○○までいくら?」
D「(相場の5倍くらいの値段)」
T「じゃいい」
D「いくらならいいんだ?」
T「20」
D「じゃ、やだ」

彼は違うインド人の客をすぐにとった。自分の確信を確かめるためにチェックしたが、そのリクシャーのメーターは動いていた。違うリクシャーで行くと、ちょうど20くらいだった。

オートリクシャー2 in デリー 「ぼれなければ怒るぞ」

現地の客を降ろした直後のリクシャーを捕まえる。
T「○○までメーターで言って」
D「○○は遠いからメーターじゃだめだ」
T (意味が分からないと思いつつ)「じゃ、いくら?」
D「50Rp」
T「40にしてよ」
D「50だ」
T「40だよ、いこいこ」

50というのは、現地の学生に聞いていた相場より高かったけれど許容範囲だったし、リクシャーの少な目の地域だったので50なのか40なのか曖昧なまま出発。しかし、彼は前の客のメーターをリセットしなかったので、到着時までにメーターは 30Rpしか増えていなかったことが判明していた。分かったからには 50Rpは払えない。「メーターで30しかかからなかったけれど、40あげるよ」と気前のいい提案をするも、相手は断固として50を主張。ちょっと怒り気味なのだが、もはや英語をしゃべらないので言い分が分からない。

結局 40で了承したが怒り収まらず、近くにいたリクシャーの運ちゃんに激しく愚痴っていた。自分が悪いことをした気にはまったくならないが、10Rpで逆転してしまう怒りと幸せがあるならば、なんの判断もくださずにあげてしまってもよかったか。向こうの理を理解できなかっただけに、自分の日本での価値観を持ち込んで正当化してはいけないのではないか、そんなことを考えてしまった。

オートリクシャー3 in ガヤ 「仲介料いただき」

バスでラージギルからガヤにつく。ブッダ・ガヤに向う乗り合いリクシャーが見つからない。乗り合いじゃないと 100Rp の相場っぽいが、治安の悪い場所では一人で乗り物には極力乗りたくない。乗り合いリクシャーはないのか?とたずね回っていると、一人の人が「ついて来い」と。まわりのリクシャー運転手から文句を言われているのに振り切って乗り場に連れて行ってくれた。「なんていい人なんだ」とちょっと感動。彼は運転手と何か相談した挙句「15Rp前払い」。なんで前払い?と思いつつ 15Rpだと思って 50Rp札を渡すとお釣りがない。どうやら50Rpと言ったらしかった。

乗り合いでそれは相当に高い。お金を受け取ると運転手と彼は私の視界から消えた。仲介料をふんだくっているようだった。やっぱり積極的な親切って得がたいものだなあ・・・と脱力しながら、疲れもあってそのときは文句も口に出てこなった。

リクシャーワーラー1 in アーグラー 「正直さん」

アーグラー城からバス停へ。アーグラーでは時間があまりなく、急いでいたのでオートリクシャーを探していたが、辺鄙なところを散歩していたので周囲にあまりいない。そうしたらリクシャーワーラーの運転手が寄ってきた。試しに値段を聴くともちろん高い。「今は、時間がないから人力はごめんなんだ」というと「俺は元気で速い!20Rpでいい」というかなり安い提案に。でも、その後に「ただし、道中の土産物屋に寄らせろ。買わなくていいから5分いればそこで収入を補うから」と付け加える。その正直さに心打たれなくもなかったが「急いでいる」と言った人には言っちゃだめだろ。どうせ「道中」というのも近くなかったりするのだろうよ。結局その2倍のお金でオートリクシャーに乗った。

リクシャーワーラー2 in ヴァラナシ 「俺はいい人」

ガンガー付近からサールナートに行こうと思うが、バスの走っている駅前にリクシャーを走らせるのだけでも大変だった。「なぜ駅に行くのだ?」と必ず聴かれる。「サールナート行きのバスを捕まえるため」とでも言おうものなら「バスはないから俺と行こう」とか「バスチケットが必要だからまず予約しに行こう」とか、嘘情報で出発しない。

うるさい人々を捨てて「ただ駅に行って。理由は教えない。」と一人のリクシャーワーラーを捕まえる。しかし、その人も「チケットなら予約センターに」とか独り言を言い始める。「チケットはいらないから駅に言って」と釘をさすも、明らかに道をそれたので「駅にダイレクトに行かなかったらお金は払わない」と言うと、メインストリートに戻り、駅に行ってくれた。約束のお金を渡すと「I am a good man」と手を出してくる。思わず「Yes, You are」と言ってしまったが、よく考えるとごく普通ではないか。インドで相対的に優等生なだけでいい気になるなよ!

その他 交通

・ インドのバスの席取り

インドでのバスの席取りはいかに椅子に速く荷物を置くかで決まるようである。並んで入った人よりも外から空いている(そもそもなかったりもする)窓より荷物を放って席においた方が優先されるのは、どうも納得がいかない。一度、シートに荷物が立てかけてあったのでそこを外して座ったところ、その荷物によって列3席全部が自分と連れのものなのだ、と睨まれて追い出されたが、むむむ体験である。

・ 時間の単位が違う

インドで、正確な時刻を知るのは大変である。写真のように、駅のような場所でも、ホーム毎に時間が違ってもへっちゃらな国なのだ。
電車は毎度のように時間単位で遅れていくので、分単位で正確な時計があったってあんまり意味が無い。

予告無く走り始めたりするがドアが閉まらないから走り出してからでも乗れるし。

インド 所感

・ 旅先としてのインド

(少なくとも私の周りにいた)一般人の多くは親切で、下心無く旅を助けてくれたし、英語はかなり通じるし、交通も発達していて利用しやすい。物価はアジアの中でも安い方なので、少々ぼったぐられても「それでも安い」と気にしなければ、発展途上国としては楽に旅のできる場所に分類できるかもしれない。ただ、用心しなければいけないことが多いのは確かである。お金のために人に対して何でもできる人、というのをあまりにたくさんインドで見ることになった。

2002年に行った、インドネシアのジャワ島も治安は悪く、実際にひどいめにあった
ただ、ここであったのはぼったぐりやスリといった、比較的単純でわかりやすい罪だった。しかし、ここインドでは違う。人の心の隙間を無理やり作り出すような、いい人を装った手の込んだ悪さがあまりにも多い。

チャイを飲んだり何かを待っていたりするとよく、インド人に「どこからきた」のと聞かれる。「日本だよ」と言うと「日本、いい国だね」と帰ってくる。なにがいいのかは知らないが、実際、対日感情は悪くないと聴いている。そして、それに続いて「インドはどうだ」と聴かれる。旅の前半は「いい国だね」と普通に返していたが、(クスリを飲まされる前でも)後半では失礼を承知して「うんざりしている」と言い切れるほどになっていた。「旅行者を騙して金を巻き上げようとする人が多すぎるからだ」と一応フォローははいれていたが。しかし、そこで同意を示す人だって、向こうから話かけてくるような人はまったく信用できないのだ。これは悲しい。

旅行中に出会った人をどこまで信用できるか ということは大きな問題である。例えば現地の人と話がはずんだりして家に招かれたとき、あるいは一緒に出かけようと言われたとき。それを拒否することで旅の貴重な経験をミスすることになる。しかし、拒否しないことでとるリスクは、殺されることにまで及ぶ。特にインドでは多くの行方不明者が出ている。外国からの旅人に見える人も罠を持っている。

今回は最後に取ったリスクが当たってしまった。もう今後の旅で取れるはリスクが増えた。少なくともインドを次に旅するとしても、現地の人に期待できることは非常に少ない。はっきり言ってこれでは独り旅は心から楽しめないし、ツアーでもない限り、責任持って人に勧めることもできない。

インド政府は、観光地の入場料として外国人から、現地人の20倍の入場料を取るなら、それなりの使い方をして欲しい。

ヴァラナシで麻薬を売っている人や、火葬場で詐欺/恐喝をしている人だって、その気になれば警察は簡単に見つけ出すことができるはずなのだ。自分さえ良ければ他人なんてどうなっても知ったこっちゃない・旅行者の人を信じる心を傷つける人たちの存在や、一部の心ない人のために自国民すべてに不名誉な印象を持たれてしまったりすることを許し続けることが、インドの国のあり方として好きになることができなかった。

あと、インドの個人旅行には十分な時間が必要だと感じた。交通機関はひどい単位で遅れるし、途中で健康を損なってストップする確率も高い。移動を続けていると、移動や宿に関連したトラブルを避けることばかりに気を遣うことになって、なかなか落ち着いた気分になることができない。なので、十二分な時間を持っての旅が好ましい。
私の場合、帰国が3日遅れたので、仕事をしている時でなくてまだよかったと思う。
また、帰国後に感染症が発覚すれば、行動範囲すべてが消毒の対象になる。特に客周りをする仕事を持っている時は、インド旅行するのはあまりお勧めできない。

・ インド 生と死 を考えさせる国

インドを旅していると、生から死への移行というものをビジュアルとして何度も見せ付けられる。

街を歩いていると、道端で中国とは違うしなやかさでヤギが解体されているのを見たりする。足だけが生きたままの姿の何匹ものヤギが袋に詰められ、自転車に乗せられていく。
その近くでは牛が淡々と肉片にされている。その横で、生きたヤギが何か食べている。道の向かいには野良牛が歩いている。

中国でも豚が丸ごとぶら下がっていたりするが、それは市場で、食肉が処理されている という印象が強い。しかし、ここでは屠殺を予感させる生々しさを残して、道端で動物が処理されていたりする。道端で生きた動物と共に見ることで、その連続性を感じざるを得ない。

あるいは、道路で野犬が捕まえたネズミを食べている。
ある野犬は今にも死にそうな風体で横たわっている。
道端や駅には死んでいるか生きているか分からない人が寝ている。
布をかぶせられた人が担架で運ばれている。
ヴァラナシに行けば人間や動物の死体が河を流れている。火葬の現場で、人の形をしたものが炭になってゆく様を見る。

インドを歩き回ると、少なからずそういう現場を見ることになる。

私は今は香港で葬式場の隣に住んでいるし、過去にはお墓に囲まれた東京のお寺に3年近くも住んでいた。同じ屋根の下で葬式があるのでホトケ様を見ることは珍しくなかったし、それを前にお経をあげたこともある。でも、そういうところからは生から死への連続性は感じることはできない。だから、自分のものとして感じることもあまりなかった。

けれど、インドでは生と死が隣り合った姿で何度も目に飛び込んでくる。多くの旅人は、そこから何かを感じると思う。

例えば、死を遠い先のものと考えて人生設計を立て、日々の会社員生活していること、それは日本では普通の意識の持ち方であっても、生き物としてはなんと特別なあり方なんだろう、というようなことを悟るかもしれない。
インドに来ると人生観が変わる、という人達はこの悟りに至ったのかもしれない。

ある人は、インドに多いベジタリアンの中には、ノンベジの人と同席することすら拒否する理由が直感的に理解できるかもしれない。

私は意識が飛んだ経験もあいまって、生と死の境目に細い線も感じることになった。さっきまで生物だったものが、物質に還っていく。それは、ヒンドゥーの神に捧げられる生贄の話であり、自分自身の話でもあるということを知る。

こういうことを感じることができるのは、インドならではだと思う。
インドは旅先として、特別な場所と言われているが、実際に特別な場所であった。

・ インドに美人は少ない

インド人は彫りが深く、美人が多いイメージを持っている人もいると思うし、自分も持っていた。
しかし、実際に行ってみると、そんなことはまったくなかった。
都市部でも垢抜けている人を見ることはとても珍しかった。化粧品を売っているようなお店もみかけないず、自分の外見には興味のある人は多くないようだった。外国にて、その地やテレビで見るインド人が取り分け美しい/美しく保とうとしている人である確率が高いようである。

・ インド旅行 再咀嚼の必要性

インドに行ったら公開するしないは別として、帰国後には旅行記を書くのは人生の糧になると感じた。

インドにいる時には、あまりの日本の街との違いにただ圧倒されてしまって「すごかった」というような具体性のない言葉に集約させられて、それで終わってしまいそうになってしまいそうだからだ。いかんせん、帰国後の日常との共通点がなさすぎる。だから、出会ったものを文章化する作業を通して、改めて咀嚼、吸収する時間が、その体験を自分のものとするのに有用だと思った。

インド旅行はネタになることが多すぎて、書き始めるときりがないのが難点であるが。

・ 健康について
胃腸に弱い私が、インドにて2週間通じて下痢はまったくしなかった。それほど料理が辛くないのと、消毒用アルコールで食事前に手をきれいにするように心がけたからかもしれない。
原因不明の長引く咳も収まった。また、お茶文化に慣れてコーヒーがないと一日が始まらない感じもなくなった。一旦風邪は引いたが、それも睡眠薬で身体を休めまくったため直った。
早寝早起きして野菜をたくさん食べ、動き回る生活をしたためか。

インド: コルカタ 目の醒めた後

警察に行った日、ツインで泊まっていた睡眠薬を分け合った彼の宿に移って、一緒に夜ご飯を食べにいった。はず。

なんだかこのあたりの記憶ははっきりせず、前後関係とかがしっかりしていない。睡眠薬を飲んで以降、色々と活動しているのに記憶がなかったりする。(睡眠薬というよりは麻薬的な何かが入っていたのかもしれないし、アルコールとの相乗効果が悪さをしたのかもしれない。一緒に飲んだ彼も「起きた後床が回っていた」というようなことを書いていた)。

例えば、薬を飲まされた翌日(=家に昼にはついている予定だった日)の夜に、姉(多分家族全員に送るつもりでミスったんだと思う)と妻に、睡眠薬詐欺にあって金とられた&フライト逃したので取り直す というようなメールを送っていた。ネットカフェに行ってお金を払って・・・とか、それなりに意識がないとできないことをやっているはずなのだが、そのメールを書いたりした記憶は無い。いや、無いとはいいきれないが、あるとはいえない、なんだか変な感じなのだ。見ていたけれど朝起きたら忘れてしまった夢のような。

メールは、めちゃくちゃな日本語で書いてあり、その時の意識の異常っぷりが分かる。姉は文字化けのせいだと思ったようだ。
(一例)
>ごめん今日k等たかえれにあ
>ちおおども金無無すまれた+¥+
こんなおかしなメールを送れば余計心配させる要素だし、「明日の便を買う」と書いたのに、そんなことは忘れて翌日行動していて、色々と心配をかけてしまったようである。

事件から3日後にようやく意識がまともといえる状態になった。マザー・テレサが活動していたハウスまで歩いていって見学し、その後、シンガポール航空のオフィスに行ったが、看板を残したまま移転していた。近場の旅行代理店で新しい場所を教えてもらい、バスでちょっと離れにある新興ビジネス街っぽいところのビルまで行って、今晩の便で航空券を取りなおす。ポリスレポートとか見せたら安くしてくれるかなあ、と思って見せたりしたけれど、無視された。しかし、最悪、買いなおしと思っていたら 3000Rpくらいの違約金(Fixのチケットだったので)日付変更してくれた。無断乗り過ごしの事後ですら6000円で日付変更できるなら、Open チケットの値段の高さっていったい?! と思う一幕であった。

シンガポールから香港へは空席がなかったが、スムーズに乗り継げる席があるのは2日後、と言われたので、それはもういやだと、とりあえずシンガポールまで行くことにした。香港便は1日に幾つもあるのでなんとかなるだろうと(結果、1つ見送って、3時間待ちくらいで乗り継げた)。

せっかくなので、コルカタもちょっと散歩してみることにして、セント・ポール寺院、ヴィトリア記念堂、モイダン公園を北へ縦断。どれもそこそこ。公園では誰も彼もがクリケットをしていた。

一眼レフカメラがないと身軽でやっぱり歩くのが大変楽だし、いちいち写真撮りたくならないので、なんだか行動も速い。昔はこういう旅をしていたなあ、ということを思い出した。

もう日も暮れてしまった。デリーより東にある分、夜が早い。宿の近くに戻ると「同居人が心配して探していたよ」と前の宿で一緒だった人に声をかけられた。朝、「散歩してくる」という置手紙と一泊分のお金だけを残して、まだ寝ている彼を後に宿を出たが、確かに散歩にしては長すぎだ。宿に戻ると、その日の彼の予定がドアに貼ってあり、ドアの鍵は閉ざされていた。一旦外に出て家族にあらためて連絡したり、お土産を買ったりした。道を歩いていると宿の近くの旅行代理店の人が声をかけてきた。ずーっと寝ていた私の顔を知っていて、「注意喚起をしたいから事件の詳細を聞かせてくれ」と言われて、色々と経緯説明をしたりした。何か彼の知っている情報をくれるかなと期待したがもらえず。

宿に戻ってもまだ彼は帰ってきていなかったので宿の主人としゃべったりして時間を潰す。そして合流して出発の準備&夜ご飯を食べる。もうフライトの時間が近かったが、彼が持っていたいいにおいのするサンダルウッドの木片が欲しくなって、マーケットに買いに走る。思ったより高い(50-200Rp)。「彼の持っているのは質が悪いから安かったんだ」とか、失礼なことをずばずばいう。

サンダルウッドと呼ばれるものは、ビャクダンのことだとは帰国してから分かった。本物かどうかは分からないし、判別は難しいらしいので、これは本物、と自分に言い聞かせている。

そんなことをしていると結構、いい時間になっていたので、宿の主人に(安くはないだろうが)信頼できるタクシーを教えてもらって、空港へ。事件後、変なところでぶっ倒れたりしていたからだろう、靴や服がとても汚くなっていた。飛行機に乗るとそれが気になってきた。
財布を落としても戻ってくることを期待できる国に帰ってきたのだ。
人を疑わずに安心して生活のできる幸せをこれほどに感じた旅行は今までなかった。

・ その他 コルカタのメモ

・ コルカタの喧騒はものすごいという噂を聞いていたが、そんなことはなかった。信号もデリーより多く機能しているし、ドライバーのマナーも中国平均よりいいだろう。道横断できないようなフェンスもあるし、物乞いや路上生活者も特段多いように見えない。かなりの努力の成果だろうが、旅行者の行くような行動範囲は少なくとも昔とは状況が変わっているようだった。

・ ところどころ道沿い水栓から水が放出されているところがあり、人がそこに集まり手で歯を磨いたり身体を洗ったりしている。その水は当然道路脇を流れてゆく。

・ お前の着ている服をくれというおじさんに遭遇。物乞いではない。だめもとだろう、「お前の持っている○○をくれ」と言ってくる人に何人か遭遇した。あいにく旅には必須品のみ持参しているので、あげられることは無い。特に今来ている服はあげると、今すぐ困るのでね。

・ このベンガル地方ではヒンドゥーの勢力も弱いのか、マーケットや街で牛を解体している姿を見る。しっぽや顔にはまだ生きたままの姿で生々しい。教会も多く、東インド会社が置かれていた趣が残っていると思った。

・ 同じく大都市であるデリーよりも人々が人懐っこくて温かみがある気がした。お金目当てでない人がよく話しかけてくるし、写真を撮ってくれと言われたりすることも多かった。デリーが東京ならコルカタは大阪のイメージ。

2008年12月12日金曜日

インド: ブッダ・ガヤー

・ ブッダ・ガヤー Buddha Gaya ★★★★
バスと乗り合いリクシャーを乗り継いで、仏教最大の聖地、ブッダ・ガヤーへ。行きと同じバスに乗ったはずが、乗客がすし詰めでなく、意味不明の停車もなかったので行きの半分の時間もかからない。順調に、2600年ほど前に、ブッダが悟りを開いたという場所にたどり着いた。

もう夕方。一泊なのでと近場に宿を適当にとって、さっそくかの地であるマハーボーディー寺院へ。

周辺の僧侶の密度はさすがにラージギルのそれとは比べ物にならない。仏教僧に囲まれていると、なんだか安心できる気がする。

マハーボーディー寺院の外で、ゴミ袋を持ってゴミ箱に向かう少年を見た。掃除をしているのかと思ったら違う。ゴミ箱から何かを回収していた。なんだったんだろう。

そういえば、インドでは屋外のゴミ箱という物を見た記憶がないな、と思った。

最終日、コルカタの宿であまりに汚くしかも穴の空いたなった靴下を捨てようと見渡すもゴミ箱がない。宿の主人に聞くと「外に捨てて来い」という。外に行ってみてもゴミを捨てるような場所は無い。近くの人に聴いてみると、「道に捨てろ」であった。それはまずいだろう、と思うが道は意外と汚れていない。
そういえばデリーのメインバザールでは、毎朝掃き掃除を皆でしていたな、と思い出す。皆、道にゴミを捨てるけれど、それを集める仕事があってなりたっているのかな、と思ってインド式にしたがってしまった。
無論それは都市部だけで、田舎ではどこに行っても打ち捨てられたゴミがいつも視界に入る。

・ マハーボーディー寺院 Mahabodhi Temple ~蚊の地 ★★★★
寺院は入場無料(カメラ持ち込み料20Rp)。
ところどころ Complete silence の掲示があったが、お経は silence の一部と認識されているようだった。大変厳かな雰囲気である。

無数の僧侶。周辺部には五体投地用のシートが置いてあり、多数のチベット僧が黙々と身を投げ出している。
その先には、ブッダが悟りを開いたとされる菩提樹。樹齢が2600年は最低でもいっているはずで(ちょっと信じられなかった)、人工的な支えにも守られていた。

かの菩提樹の下にはたくさんの人が瞑想をしていたり、講和をしたり、お祈り?したり。様々な国の仏教徒が、様々な形でブッダに敬意を表していている。

それでいったい皆は仏教に何を感じ、何を求めているのか?
同様に、この場所に何を求めて来ているのか?
ということが、人々のあり方があまりに多種で想像がつかなかった。

熱心に座禅をしている人は、"その境地"に達するモチベーションをあげに来ているように見えるし、一方、神社に合格祈願に来ているのと同じ感じでお参りしているように見える人もいる。

各地の風土や文化と融合して、日本人では理解しがたい形も含め、様々な仏教が世界に広がっていっているだろうが、一つ言えるのは、この地で一人の人間が 2600年も前に悟ったと言われる"何か"が、今も多くの人を動かしているということ。どんなすごい体験だろうと、一人の人間の心に宿ったものに過ぎないものが、である。

それは、改めてものすごいことだと思った。
ブッダとその周囲にいた人は、伝え、感化するということにおいて、それこそ神的な能力を持っていたのだろうと思う。

私も周囲を時計回りに何度か回った後、かの地のすぐ近くで座ってみた。最初はこの地のパワーなのか調子よく日常的なことを忘れられていた。が、少しすると裸足の足を中心に蚊に刺されまくり、その痒さとまだ満腹でない蚊に心乱されまくるようになってきた。ブッダが消した最後の煩悩は、自分に止まった蚊をどうにかしたい欲と痒いところを掻きたい欲だったのでは、と真剣に考えたほどである。

しかし、本気で気になる。気にならないようになるのか、それとも生命の気を消して蚊がよらない術でも身に着けていたのか。

・ ブッダ・ガヤー の悪夢の夜 〜蚊に悩む
もうやってられん、と立ち去り、夜ご飯を食べたレストランの窓を見てぎょっとした。外側に蚊がすごい密度で止まっていたのだ。もう上着が欲しい冬なのに。

嫌な予感と共に、宿に戻ってまたびっくり。人生でこれだけの蚊密度の高い部屋に入ったことはあるまい。白い壁にはスーパーマリオのボーナスステージかというような蚊、蚊、蚊。モグラ叩き状態で部屋に帰った最初の一分で 10回ほど不殺生戒を破ってしまった。
その後、洗面所を含めて 30匹ほど駆除するも、壁に穴が空いていて、今頑張っても安眠は無理と悟る。宿でもらった蚊取り線香でこちらは苦しくなってきたのに蚊は元気に飛び回っているので、線香も消して寝る。強力なはずの虫除けも聴いていない。

蚊の量以外でもこの宿での夜は最悪であった。
夜中に不穏な音がすると思ったらネズミが荷物の上を走っている。ツインのベッドについていた二つの毛布を重ねても寒い。シーツは汚くベッドは堅く、毛布は誇りくさい。もう少しちゃんと部屋を見て判断すればよかった・・・しかも、外では明け方までおかしいくらいに大音量の宗教的音楽(おそらく仏教系ではない)が流れているわ、蚊との闘いも何ラウンドにも及ぶわで、一向に眠れない。

最悪のこの夜に風邪も引いた。朝になったら鼻水が止まらない。
次の日の夜の寝台に備えてヤクの柔らかい毛で作られたストールを購入。200Rp。結構気に入っていたが、コルカタの睡眠薬事件後、いつの間にかなくなっていた。

・ ブッダ・ガヤー 座禅の朝 〜蚊に悩むagain ★★★
朝と夕は印度山日本寺(超宗派によるお寺)に座禅を組みにいった。
ここに向かう朝に強盗にあった人もいるようだった。まだ暗い中、人の目のなくならないように気をつけて歩いた。
参加者は朝夕とも5人程度。やはり日本人が多かった。街がせまいので、彼らとは皆、どこか違う場所でも出会った。

二人のお坊さんによる、20分ほどの勤行があった後、座禅が始まる。

やはりここでも、蚊はつきまとってくる。
途中からもう意識は蚊に集中してしまう。
これは厳しい。雨季なんてどうなってしまうのだろう。

この地域は夏は 40度を軽く超える暑さときく。厳しい自然環境だからこそ開かれた悟りであることは間違いないと思っているが、中途半端な厳しさは、旅人にとってはそれだけで終わってしまうものであった。
この地を理解するには、やはり厳暑期に来たほうがいいのかもしれない。

お寺には無料の診察所が併設されており、早朝から人が集まり、並んでいた。無料の学校もあり、インドでの奉仕活動ぶりに頭が下がる想いであった。

・ セーナー村(スジャータ村) Sena Village 寄付で潤う村 ★★
ブッダ・ガヤーではそれほどやることもないので、苦行をやめて山を降りたブッダにスジャータが粥を与えた、というシーンの舞台であるセーナー村に歩いて向かう。

橋を渡った村の入り口には学校があり、壁には「青空学校」と感じで書いてある。日本人が設立に寄与しているようだが、なんとも「寄付をくれ」展開になりそうな予感がする。予想通り、「中を見ていけよ」という展開に。
ネパールで同様のことがあってあまり気分がよくなかったので
http://www5.pf-x.net/~tosh/travel/nepal/top.html#4
スルーしようかと思ったが、時間がたくさんあったので、ちょっとだけ見てみることにした。

で、入るといきなり十数人の生徒が一斉に立ち上がって挨拶してくる。タイミングよすぎ、というかこういうことに慣れまくっているのだろう。
見るだけだと思っていたのに、「さあ、何か教えてあげてください。」と立たされる。といきなり言われても困ったものだ・・・。とりあえずお決まりの日本語を15分くらい教えてみる。 先生が私の英語を通訳してくれる。

その後、2階でもう少し年上の人たちの授業にお邪魔する。
インド周辺の山について学習中ということで、ちょっと質問をしてみる。世界一高い山は?「カンチェンジュンガ」「いや、それはインド一高い山だよ」「エベレスト」「正解、ではそれはどこに?」「インド」。「No!」さっき教えたばかりだろ、と先生は苦笑い。とかいうやりとりの後、彼らには今後あまり関係ないだろう高山病についての話などをしてみた。

その後、校長?と雑談タイム。
いかに貧しいかを語って寄付を要求するのかと思いきや、それではインドではアピールにならないことを知っているのか、そういう話はしばらく出なかった。
まず「インドはどうか?」というので、観光客に絡んでくるインド人にはうんざりしていることについて話した。たとえば、ブッダ・ガヤーの街にたくさんいる日本語で「バイクで色々連れて行ってあげるよ。お金は要らない」という人の話を出して「知らない人のバイクに乗れるわけないし、まず彼は身元を明らかにすべきだ。彼も生きるのにお金が必要で、平日の昼から旅行者の遊びに付き合ってられるわけない。必ず最後はお金を取らなければならない。だったら最初から親切面しないで、xxRp+気に入った分のチップでガイドをさせてほしいとか、正直に自分の要求を話すべきだ」など。まあ彼に言ってもしょうがないを愚痴いっぱいこぼしてみた。彼はそれに真面目に対応してくれて好感度があがった。

そして、彼の説明。ここは孤児のための私設学校とのこと。「将来、観光客にたかるのではなく自分の力でお金を生み出してくれる子供たちを育てたい」というような、インド人疲れしている旅行者を喜ばせるような言葉を選ぶ。
で、学校の運営はボランティアでやっているけれど・・・と遠まわしに寄付歓迎の話が出る。

はっきりいって、インドの田舎の中では、この学校はかなり恵まれている。皆ちゃんとした文具を持っていたし、遊び道具も豊富に用意されていて、デジカメさえある。旅行者が毎日たくさん通るこの場所で、旅行者がそれまでに接してきたであろうインド人の中では特段にうさんくさくない感じで話ができる校長がいて、さぞかし寄付も集まっていることだろう。

寄付がどんな風に使われるか知れたものじゃないし、この学校で育った人は将来、真面目に働くよりもここを通る旅行者にいい話を聞かせて寄付をもらうのが一番おいしい仕事であることを知らずには卒業できないことを考えると、どうなんだろう・・・と悩んだが、「期待している」という意思表明だけは残しておきたいと、1000Rpもの(今までの宿代の合計に近い。日本でのx時間の労働分、ではなくて、安宿で眠れぬ夜を何度もすごして浮いた分、と考えることに) 寄付をする気になった。

卒業生という人がストゥーパを案内したいというので、してもらった。

・ セーナー村2 ~人を信用するために必要なもの
ストゥーパを見ていると、インド人の若い男達がバイクで通り過ぎたあと、戻ってきた。日英韓仏印5各語堪能の彼は「今日は仕事がないからよかったらバイクで案内してあげようか?」とまた調子のいいことを言っている。「知らない人のバイクには乗れないよ」と言ったものの、ブッダが苦行をしていたという山には行ってみたいし、その足がないのも確かである。「ボランティアじゃないよ、バイクが乗るのが好きなんだよ。燃料代は出してもらう」という話も若干真実度をあげている。とはいえ、現地人の乗り物に乗るならば更なる保証が必要である。

「じゃあ、失礼だけど君が信用できる人かどうか確認させてもらってもいい?」と言うと「いい」というので、さっきの学校まで戻る。 そして、先ほど話し込んだ校長に「ねえ、この人バイクで案内してくれるって言っているけれど信用してもいいの?」と聴いてみる。「彼は信用していいよ。燃料代払えば後は要求しないと言っているし」「それはいくらくらい?」「往復2〜3リットルのガスがいる。1リッターxxRpだよ」と、まあ妥当と思える数字が出た。「これで後でここに君が戻ってこなかったら、私が殺人犯って分かるでしょ」とライダーは笑った。笑い事じゃないが、村をあげての犯罪が起こるならもうお手上げだと、ここで彼を信用することにした。

そして、バイクに乗って苦行した山(乾いた岩山であるが、周囲も含めてなかなか壮観)大きな大きなガジュマルの樹などを案内してもらった。途中でガソリン屋によってガソリンを買う(ペットボトル入り)。彼は結構よい身なりをしていた。
22歳にして5各語が堪能なのは、独学でトイレに行くのも惜しんで勉強し大学に行ったからだ、とか、今はドキュメンタリ番組を作る仕事をしているとか、とある金持ち欧米人がミリオン$(1億円!)の寄付をしてくれて、それはすぐにルピーに換金できないけれど、この山のふもと辺りに畑を買って、人々に仕事を提供する計画を立てているとか、本当かどうかわからない話を色々としてくれた。半信半疑で聴きながしながら、バイクで田舎の道を行くのを気持ちよいと感じていた。

特にトラブルもなく村に戻ると、先ほどとは違う学校に連れて行かれた。
「前にここで働いていたんだ。寄付してよ」と単刀直入に言われた。そういうことだったのね。
他の先生らしき仲間も来る。私が「さっき寄付、もうあれ以上は無理」というと「ここはあそことは独立した学校だからまた別」とか「お金じゃなくて物でもいい。これから寒くなると、床に引くものが必要だから、それを例えば買ってくれないか」とか言ってくる。物を買っても、お店とはどうせ知り合いなんだからお金をあげるのと同じでしょ、と思う。この村はどこまで寄付を当てにしているんだ・・・。
彼らはでもしつこくはなかった。いくらでも観光客なんて通るのだろう。

ライダーは「最後にスジャータ村のお茶を飲んでから帰りなよ」と橋の横のお茶屋へ。人通りの多い場所なので問題ないとは思ったが、へんな混ぜ物されていないか注意しなければいけないのが、インドで心休まらないところである。
結局何ごともなく、お茶をごちそうになり、ちょっと雑談して、橋の向こうまで乗せてもらって、約束の燃料代を渡す。終わってみれば走った距離にしてはこれがやや多かったと思うが、「足りればいいけど」とと言ってみると「商売でやっているわけじゃないからね。足りない分は自分が払うよ」 と。
インド人って何を真意で言っているのか全然分からない。ただ、強盗沙汰にならないだけで「まあ悪くなかった」と思えてしまうようになっているのが怖い。

この日の夜、コルカタに向うために宿を出る。

外では、盛んに日本語でしゃべりかけてきた怪しいインド人が一人の日本人を捕まえて飲みにいくことになっていた。日本人は「一緒にどうですか?」と誘ってきたが、「もう行くので」と断る。こいつと飲みに行くなんて重々気をつけろよ、と思ったが、まさか自分がひどい目に巻き込まれるとはそのときは思わなかった。人は一度何かポリシーをまげてしまうと、どんどんたがが外れていくものだ、ということを実感した。

ここから睡眠薬強盗事件が始まった。

インド: ガヤ〜ラージギル

・ ガヤへ 狂犬におびえる & 電車を永遠に待つ & ゴミかぶる。
ガヤへの電車に乗るべくまだ暗い朝4時に宿を出る。旧市街は電灯もなく真っ暗でヘッドライトが役に立つ。
犬が狂ったように吠えている。初日にリクシャーから聴いた「最近旅行者が犬に噛まれた」というまさに周辺で、恐ろしい。でもきっと大丈夫、と細い路地を歩いていくとヘッドライトに光る二つの目。明らかにこちらを威嚇して吠えまくっている。これはまずいと引き返し、一旦ガンガーに出て河沿いを歩いたら大丈夫だった。真っ暗な中でも、たまに人がいた。

最初に見つけたリクシャーに乗ろうとすると、昼の5倍の値段をふっかけてきた。「この時間だからね、俺のに乗らないと歩く羽目になるよ」などと強気だが既に他のリクシャーが先に見えているのによく言えたものだ。すぐに去ってまともな人を探した。深夜の街は昼の喧噪が嘘のように静かで暗かった。通行量も少なく、運転もスムーズですぐに駅に着く。

しかし、超早起きして犬に怯えガンガーの日の出も見ずに頑張って駅に来た甲斐はまったくなかった。
電車はずるずると遅れ続ける。15分単位とかで到着予定時刻がずれていくので、絶え間なく流れる電車の遅延到着アナウンスを聞き続けなければならず、心休まらないし、駅の外で時間を潰すわけにも行かない。駅には待合室もベンチもなく、寒くて疲労困憊である。
空がすっかり明るくなった頃、30分の遅延追加がアナウンスされたので一度駅を出て炭を炊いている屋台でサモサを食べて待つ。屋台の周辺は土の上でたくさんの穴が空いており、ねずみが走り回っている。屋台のおじさんの足下からもちょろちょろ。おじさん曰くベストフレンド。長い間一緒だから情も移るだろうなあ。と、十分時間をつぶして戻ったつもりだったがそれからまた一時間以上ずるずると遅れた。結局4時間半遅れである。列車の途中乗車はそれまでの遅れを全部かぶることになるのでよくないということを悟った。

予定は崩れて、その後の保険の列車チケットを追加で取り直すはめになった。
バスにすればよかった、とかなんとか思いもしたがこれもまたインド体験。自国の感覚で予定を立てたのが誤りだ。ブッダが数ヶ月かけて歩いた道のりの逆を午前中で済まそうとしているのに何ごちゃごちゃ考えているのだ、とごちゃごちゃに追加が加わった。

道中、電車の中の床掃除する浮浪者風おじさんがいた。すごい料のゴミがすぐに集まる。しかし、残念なことに集めたゴミを私の横の窓から放り出してしまった。もちろん土に帰らない物も多数。多分仕事っぷりをアピールしたかったんだと思うが、わざわざ私の窓の横から放り出したため、荷物ともども埃をかぶった。
そして彼は執拗に私に金を要求してきた。しかも金額指定。

私は彼のしたことが「やらないほうがまし」なことだと思ったので、そう言って払わない姿勢を見せるが、英語は通じていない。彼は結構な剣幕で何度も私をつつく。そこそこ裕福そうな周りの人に通訳してくれと頼むが、してくれない。彼らは自分は払っていないくせに私に払えのジェスチャー。お互いにあまりに譲らないのでようやく一人が通訳したのか何かを伝えて、それで終わりになった。お互いにいいと思っていることが違うとやっかいである。

・ ガヤからラージギルへ
車窓からは乾いた土地、ちょうど刈り入れ期の田園地帯が続く。
ガヤからはバスでラージギルに向かう。ヴァラナシで電車待ち友になったロシア人カップルともうブッダガヤに行ってしまおうかなという誘惑もあったが、今日はラージギルの日本寺の勤行に参加して泊めてもらうつもりでいたので、別れる。

しかし、駅からバス停にいくのも一苦労。
馬車、自転車、人、バイク、オートリクシャー、リクシャーワーラー、車、バス、と様々な速度と大きさの乗り物が中央線もない狭い道を行くのだから大変。更に牛が道をふさいでいたりする。しかも運転手は全員インド人とあればその混沌状況は想像に難くないはず。

2時間といわれていたバスの旅も約2倍かかる。悪路に屋根まですし詰めのバス紀行は苦行。奥の人が一人降りる度に大移動が発生して停止。ラージギル到着は当初は午後すぐの予定が、結局はもうすっかり真っ暗になったあと。日本寺の勤行の時間も終了し、今からおしかけるのも迷惑になりそうだし、このあたりは夜の移動は厳禁らしいので、バス停から一番近い小さな家族経営の宿に泊まった。

・ インドで初お酒
朝からまともな食事をしていなかったので腹ぺこ。宿の主人に何かいいとこ知っているか聴くと、俺が作ったの食べるか、という展開に。喜んで受けるもできるのは1.5時間後というので小腹を見たそうと表に出てみた。小腹満たしてふと見るとインドに来て初めて表だってお酒を売っている場所を見つけた。
東部だし、仏教の聖地だし、イスラム勢力は弱いからか。
(まあ、仏教徒も飲酒は禁止なんだが)

ついインドのビールに好奇心が出てバーに吸い込まれてしまった。KING FISHERというこの地方のビールの大瓶が1本 70Rpとインドの物価ではとっても高い。味はフルーティー。思ったよりいける。アジアのビールではかなり上位。半分くらい飲んで満足したので、後は合席したインド人にあげて宿に帰る。
バーは薄暗く、ヌード写真が張ってあったりして、男が隠れて飲む的な雰囲気だったが、繁盛していた。

本当は今頃お寺の宿望で煩悩と闘っていたはずが、なんという展開。

宿の食事はカレーを中心としたよくあるインドの家庭料理。おいしかった。
仕事は子供が色々やってくれるのだが、何かするたびにチップを期待する視線が突き刺さり、ある時に部屋から出て行かなくなったので、10Rpのおこずかいをあげる。宿代が 150Rp ということを考えるいい額だと思うが、次回からも視線を感じ続けた。
ご飯代の請求はなかったので、チェックアウト時に 50Rp渡してお礼を言った。

この日、旅で最後の洗濯をした。
宗教施設に入る際に靴を脱ぐ機会が多いので、靴下が尋常でなく汚い(裸足で歩き回った後、汚い足で靴下を履くので)。
デリーで「すごく汚かったから」という理由で靴下のランドリー金額が2倍請求されたことに納得してしまった。

・ ラージギル 街 Rajgir ★★
ラージギルは山賊被害もあると聴くので、本日は不要な現金を宿に置き、自前の錠をかけて出発。カメラのメモリカードも入れ替えた(このカードがカメラと共にコルカタで盗まれたので、この後の写真が基本的に無い)。

ここでは、馬車がメインの移動手段であるが、メインの馬車スタンドまでは各国仏教施設を眺めながら歩く。
ベンガル寺に行ったら、僧侶に今晩泊まっていけと誘われた。日本人の僧侶も一人いるそうな。大変魅力的であるが、旅程的に今日中にブッダガヤーに行っておきたかったので、残念ながら断念。

・ 竹林精舎
国王から寄進されてブッダの教団が活動した場所。鐘の音が諸行無常の響きのする方ではない。
下手に整備されていて趣はない。単なる寂れた公園的で、瞑想場所は閉ざされていた。

現地の僧たちが人々に講和を行っていて、まだ仏教がインドでも生きているのを感じた。しかし、彼らはチケットを買わずに入っており、抜け道から出ようとしたところを捕まって怒られていた。

その横にある、昨日泊まり損ねた日本山妙法寺 も覗いてみる。人気が無いので、広い本堂を覗かせてもらう。
開祖らしい人のカラー写真が大きく本尊近くにあるのと、何妙法蓮華経のお題目を目にするので、日蓮宗系の新宗教らしいことは分かった(ここは法華経が説かれた、日蓮宗系にとっての聖地中の聖地)。また、世界各地にお寺を持っているらしいことも飾られた写真から分かった。

(果たしてそうであった。Wikipedia によると、成田空港の軍事利用ができないのはこのお寺の運動の成果らしい。)

・ ラトナギリ Ratnagiri 多宝山 &グリッドラクータ山 Griddhakuta 霊鷲山
★★★★
入り口までは馬車で移動。
なるほど山賊が活動しやすそうな木の密度である。
このあたりは巡礼者の山賊襲撃事件があるというので、常に他の集団が視界に入る範囲での行動を心がけた。ところどころ軍人の警備が巡回していた。

ラトナギリの頂上には日本山妙法寺による仏塔と寺がある。
お寺の中では日本の若いお坊さんが太鼓を叩き法華経を読み続けている。近くに行って彼から甘い物の施しを受ける、のがここでの巡礼法らしい。金平糖的なそれをなめながら、我々が大都市の喧騒にもまれているときもずっと、インドの僻地の山の上で世界の平和を祈り続けている人がいるのか、と思うと、心が洗われる気持ちになった。

しかし、しばらくしたら彼はインド人と交代。インド人は適当に太鼓を叩きながら近くの人と雑談をはじめ、あっという間に醒めてしまった。

そして、グリッドラクータ山へ下る。
ここはブッダが法華経なんかを弟子に説いた場所。インド人の団体が集会を行っていた。欧米人数人が瞑想をしていた。
ここは周囲の密林を見下ろす環境が素晴らしく、心が澄み渡る。ブッダがこの場所を愛した一つの理由が分かったと思った。

・ 温泉のバザール & 洞窟の仏像 &リスクテイク ★★★
街に戻ると、馬車亭のすぐ裏にあるインドでは珍しい温泉に行ってみた。タオルなどなかったので、湯船のある方にはいかなかった。私の行ったところは足湯プラス流れるお湯という感じだった。インド人は一生懸命身体をあらっており、下にたまった水はちょっと粘るような気がする。その気はなかったが、インド人たちが催促するので、私も頭と手足を洗い流してすっきりする。マントラを唱えた後高いお布施を要求するエセ宗教者がここにもいた。

また、温泉からちょっとした丘に登ることができる。見晴らしがよさそうなので行ってみる。上の方に行くと、棒を持った制服姿の男が話しかけてきた。彼は軍の人で、この辺は治安が悪いので人々のセキュリティを守るのが仕事だと言いながらついてくる。それが仕事なら拳銃くらい持っていていいんじゃねーか?とちょっと不審を覚える。勝手についてこさせると、同じ仲間が二人加わった。ちょっと嫌な予感だ。

頂上付近に着いた。ここにはお寺があり、周囲に人がいる。もう引き返そうと思うと、3人は「ここから裏に下ったところすぐに洞窟があって、中にブッダ象があるから見にいけ」という。そこから先は人の気配がないので、いきなりこいつらが山賊に代わるケースが十分に考えられる。洞窟にも興味があったので、「こいつらについていっていいのか」と周囲の人に目で尋ねるが回答ナシ。何度か断るが、すぐそこだという声に押されて結局行ってみることに。

洞窟は確かにすぐにあった。そこに入る前に改めてためらわれたが、入る。すると案内人がいてろうそくに火をつけてくれた。ブッダ像は小さい物だが、暗闇に置かれていることで味がある。ここで寄付を要求される。抗しがたい感じだったのでやつらの懐に入るのがわかっていながら少額を置く。とりあえず無事に洞窟は出ないとまずいなと感じていた。さて、出ると予想通り軍人たちは金をくれといって取り囲む。とても理解しづらい英語で、言い分の理由は分からない。

彼らが本当に軍人ならば、給料もらって安全を守る仕事をしているのに、なぜ頼みもしない私がお金を払わないといけないのか分からなかったし、他にもインド人旅行者がいたのに、お金をむしれそうな人がいたらそこに集結してしまい、インド人のセキュリティは考えなくていいのか?というところが許せなかったので、お金は払いたくない。

しかし、この場でそういうことでもめると身に危険が及びかねない雰囲気と環境。とりあえず人の目のある場所に行こうと「後で払うよ。元の場所まで安全に送り届けるまでが仕事でしょ」と提案。
彼らは迂闊にもその話をすぐに飲んでくれた。

さて、人目があっていざとなれば逃げられる場所まで来たところで、改めて催促してきた彼らに 10Rp渡す。当然彼らは怒っている。でも「仕事でしょ?給料もらってるでしょ?不満なら返して」と言いはなって振り切った。

インドで相当用心してきた私が、意識しながらリスクを犯したのはこれが始めてであった。この後、少しずつ気持ちが緩んでいった気がする。

2008年12月11日木曜日

インド: ヴァラナシ

・夜行電車でヴァラナシ(Varanasi / ベナレス)へ

夜行電車は 3A クラスというエアコンつき3段ベッドの寝台の一番上をネットで予約しておいた。エアコン付き車両は(エアコンの不要な季節でも)値段もエアコン無しの倍以上するが、その分治安がよいのと、エアコンなしは朝以降混むらしかった(実際はSLクラスはそうでなかった)ので、昼着までの長い道中に疲れないようにそうした。そこそこ清潔なシーツ、布団、まくらと食事がつくのもこのクラスから。予想外に夜が冷えるので役に立った(SLクラスに乗ったガヤ→コルカタ 間はつらかった)。

寝台はそこそこ快適であった。ベッドの長さはかろうじて足を伸ばせるか否かという程度だが、横幅はそれなりにあり、昨夜の宿よりマットが快適でシーツも布団も綺麗だし、蚊がいなく騒がしくない分よいくらいだった。昨晩眠れなかったせいで爆睡。朝にはほとんどの乗客は下車済みでのんびりできた。到着は予想通り遅れまくり。ただ、3Aクラスは車掌が乗客の面倒を見てくれていて、「~くらい遅れている」とか「あと○分で着くぞ」とか教えてくれる親切だった。

インド旅行で苦行を敢えて求めない人には絶対3A以上をお勧めする。種々リスクを考慮したらこっちの方が安くつくのではとも思う(私の強盗ケースでも、コルカタに行く際も、SLに乗っていなければ強盗につきまとわれなかったかもと思っている)。



・ ヴァラナシの困ったリクシャーたち



ヴァラナシ駅から、旅人の目的地であるガンガー付近までは徒歩で1時間くらかかるので、リクシャーの助けが必要になる。ちょっと高めだがプリペイド価格がリクシャースタンドに書いてあるのでぼられることは少ない。しかし、プリペイド価格が掲示されているというのは、ここの彼らにまつわるトラブルが多かったからだろう。そして、それは過去の話ではなかった。

彼らはコミッションのもらえる場所(多くは宿)に連れて行くことしか考えていない。私は変なところに連れて行かれたくないので、路地に入り込んで分かりにくくなる前にある交差点まで行くことをお願いする(そこから先はオートリクシャーは進入禁止)。しかし、「最近ある地区は野犬に噛まれる事故が多いから安心な場所に連れて行ってあげる」とか、「その交差点付近は治安が悪いからホテルまで連れて行ってやる」とか、乗り込んだ後に延々と言われて出発すらしない。出発させるために「ホテルの予約はもう取ったし、治安の確認もした。だからとにかく行って」とか、何度も言っているのに、頑として出発しない。「親切心で言っているのになぜ?」「お前は日本人なのになぜ冷たい?」とか本当にしつこい。

「つべこべ言わず今すぐ出発しないと降りる」という警告を何度も無視したの2つのオートリクシャーをあきらめて捨てて、道に出て流しのリクシャーワーラーを止める。20Rpで交渉がまとまると彼は黙々と仕事してくれ、寄ってくる客引きを振り払ってくれた。やはり流しに限る。

交通渋滞の中をゆっくりながら順調にその場に到着し、気をよくしてチップをあげてもよいかなという気にもなっていたが、最後に試したくなって交渉の値段 20Rp(オートリクシャーで50Rpがプリペイド価格) ぴったりで持っていたのに 50Rpを渡してみた。お釣りが少なかったら寂しいなと思っていたが、それどころではなく、お釣りを返さずに去ろうとしている。ちょっと待てと。しかし彼は英語が分からないという素振り。近くにいたインド人が仲介に入る。そして、この距離は「20じゃ可哀想だから 30だね」とまとめた。なんだか納得いかないがことを荒立てたくなかったのであきらめる。

仲介人はでもその後、宿とお土産屋の紹介屋に即変してうるさくつきまとってきたので、近所のレストランに逃げ込む。そこは歴史のあるベジタリアンのお店で、そこで食べたカレーは「肉なしでこのコクが出るのか?!」というおいしさだった。中は綺麗なのに窓際にネズミがいるなあと思っていたら、違う客がそれをボーイに指摘。追い払っていた。


後で旅行者に聴くと、やはりヴァラナシ駅前のリクシャーには皆苦労したようだった。

・ ヴァラナシ ガンガー付近 第一印象


ヴァラナシは噂通り混沌。河近くの古い街の道は細く迷路状になっており、とても迷いやすい。そこを様々な動物や人間が行き交っていて油断ならない。屋上に行けばサルが、地上では犬に噛まれるという事件もあるようだ(噛まれたら狂犬病予防が大変)。


宿に荷物をおいてさっそくガンガー(ガンジス河)を眺めに行く。ガンガーの水は期待通り汚い。しかし、第一印象はそれだけ。よくある汚い太めの河。岸の片方は密集した建物と階段状のガード、対岸には見事に何もない というシチュエーション以外特別なものは感じなかった。

各種死体を含めたありとあらゆるものが流れていて、河イルカも現れたりして、向こう岸には人骨があって・・・というような情報を、過去の旅人からもらいすぎていたため、行ったらすぐに驚愕!的な何かを求めすぎていたためだろう。


・ ヴァラナシのマッサージ屋 ★★★★


歩いていると、握手を求めてくる男がいる。マッサージ屋である。彼らは握手を求めてくるところから勧誘をはじめることにしているようで、「頭と肩マッサージしてあげる。10Rpだけ」と言っている。ちょっと凝りがあったのでやってもらう。


自分はアーユルヴェーダマッサージを世界で教えているとか、ウソ純度の高い話を何度もしている。動物やその糞に囲まれてマッサージというのはあまり落ち着かないが、実際のところ期待以上にうまかった。途中からシートの上に横になれと言われる。そうして腰や足のマッサージが始まったときに、これは 10Rpですまないなと思ったが、やはりそうで、「happyになったらお金をたくさんくれ、200とか...」と相当に桁の違う話に変わっている。結局 30分くらいやってもらった。押し売り状況ではあるが、実際にうまかったのでその技術と労働力と満足度を計算して悪くない額であろう 50Rpをあげた。彼はあと100・・・などとかましていたが、50Rpに満足している表情と態度が目に取れた。


他の旅行者がこの段階で「10Rpって言ったじゃん」と10Rpだけ渡したら「死のマッサージくらわせたろか」的なことを言われたという話が情報ノートに書いてあった。ここはインド、言い値で済むわけがない。最初の話(頭と肩)と内容が違ってきた時点で確認しなかった自分も悪いんだから、満足分の額を乗せてもいいのでは、ちょっと思ったりした。


味をしめて、次の日にも受けてしまった。この時は頭と肩+腰 の地点で二人目が登場して足をやりだした。もう満足だったので、終了。量的に初期提案の 1.5倍と思ったので 15Rp あげたら、1人は No! と言っていたが、もう1人は珍しくも 即Ok! だった。金額に満足したとしても取れるもんは取っとけ的に試してくるこういう人たちにしては本当に珍しいOk! であった。

・ ガンガーの反対側
★★★★


不浄の地とされるガンガーの向こう側に渡りたいと誰もが思う。聖地側を見渡せるのは向こう岸からだからだ。
しかし、へたなボートに乗ると向こうでトラブルに合うというような話も聴くし、一人だと値段交渉も面倒なので、インド人の集団にまぜてもらった。これならボートマンも小遣いが増えて気持ちいいだけだし、帰れない的な話にもならないだろうと。


外国人のシェア相場価格の半分くらいで交渉まとまり出発。向こう岸で「さっきの値段は片道のだよ。帰りたかったら・・・」とか予想通りのことを言い出すが相手にするのもバカらしいので無視。帰るとお金渡して、ありがとはいさよなら、こういうときにぴったりのお金がないと面倒なことになるので、インドではかなり頑張って小銭を集める(お釣りを持っていない人が多いので結構大変)ように心がけていた。


反対側に降りるには、ボートの着岸地点から裸足でガンガーの水に浸って歩いていく必要がある(ガンガーの水に浸ったのはこれが最初で最後)。海のように細かく、しなやかな砂を踏みしめて少し散策をする。雨季には多くが水没するであろう砂浜の向こうには潅木が見え、その先が気になる。しかし、それを覗くには時間が足りなさ過ぎるし、危険そうであるので、ぐっとガマンして狭い範囲を動き回るのみ。

水浴びを終えた水牛の群れが、対岸の彼方へ向っていた。

野犬が集まって何かを食べていた。

子供たちが凧揚げしている。

何でここにいるのか分からない人たちがぱらぱらといる。


夕日を背景にした聖なる街のガード(沐浴するために岸に作られた階段)を見たときに、ヴァラナシに来て初めて、ここがとても特別な場所だということを実感した。

・ ヴァナラシの夜 ★★★


日が沈むと、プージャー(お祈りの儀式)がメインガード(ダシャーシュワメード・ガート)付近ではじまる。火をふんだんに使った儀式である。1日目は、舟で正面から見た。2日目は横~後ろから、2日とも見続けた。


通奏の鐘が幾つも上に張られた糸につりさげられ、紐をうまくコントロールすることで鳴らされていた。一人の少年が飽きた感じで鐘を鳴らしていたのを見て、「や・ら・せ・て」と目でサインを送ったらその役をやらせてくれた。うまく音を鳴らし続けるのは意外と難しく、なんだか楽しかった。何を祈っているのかも分からないで申し訳ないが、人が祈ることなんてステレオタイプ、お寺の朝課で木魚を叩くのとそう遠くない世界だろうと思いつつ。


対岸から流されていく無数の鎮魂の?灯篭の火が美しい。
入り組んだ路地はメインの通りから一本奥に入ると暗く、人気がなくなるため、犯罪がしやすい。実際に色々なトラブルがあるらしく、深夜外出禁止の宿も多い。私の泊まったところ(景色がよかったので一泊70Rpの快適なドミトリに泊まった)も 22時で閉門。ヴァラナシでは日の出前から活動するのでどちらにせよ早寝。

ヴァラナシの朝 ★★★★★
朝は暗いうちから祈りの声と鈴が響きわたる。部屋の窓のすぐ外でやっているので自然と日の出前に目が覚める。



ヴァラナシといえばその日の出。沐浴も朝が一番さかんである。ボートでガンガーを行くのに最適な時間である。


前日にボートマンを、日の出30分前の6時からということで宿でお願いしておいて、同じドミに同じに日に着いた人を誘っていった。何かあったときに責任をとってもらえるからそうしたのだが、これが間違い。ボートマンは寝坊して散々遅刻した上に、我々をボートの上に載せた後にチャイなど飲んでゆっくりしている。我々の「コーヒーを飲まないと1日が始まらない」的感覚なのかもしれないが、日本人感覚ではなんと大胆不敵なである。日の出前の美しいマジックアワーこそが空の美しい時間帯のに・・・でも、なんとか日の出前には出発。

しかし、そんなじれったい気持ちは出発してすぐにふっとんだ。朝焼けの景色がとても美しい。朝日の昇る不毛の土地も、朝日に照らされる聖なる街も、風景として、美しい。そして、昇り始めた朝日に向って沐浴する人々の姿。宗教が生きている。なるほどここは聖地なのだ、とここに来て体感された。


それにしても、やはり観光客ボートは多い。ボートは沐浴する人に再接近はしないが、多数の人がカメラを向けている時にそれを意識しないでいることは難しい。アフリカのサファリと同じことを感じてしまった。見たいのはやまやまであるが、被写体を尊重して静かにもしてあげたいというジレンマ。いずれにせよ、少し凍えながらも、素敵なボートトリップを終える。


ボートマンは散々遅刻して「朝ごはん食べてないからパワーが出ない」とかは言うのにほとんどガイドもしなかった上に1時間の約束が50分しか漕がなかったくせに「よかっただろう、チップをくれ」とかほざいてきたので、彼の良くなかった点をずばずば言って「本当は約束のお金も払いたくないところだよ」、と正直なところをお伝えした。冷たい言葉もインドで英語だと簡単に出てきてしまうのがちょっと怖い。


さて、戻って一人歩きしているとまたボートマンに舟乗らないかと誘われる。が、その舟のすぐ先に、人間の死体がひっかかっていた。それが、ガンガーに浮かぶ始めてみた人間の死体。横を向いて、手足を屈伸した状態で、服を着た老人のようだった。それを見ても、感情は動かなかった。それは、ここがヴァラナシだからなのか。多分違うと思うが、正直なところよく分からない。私は彼に「その死体どけたほうが客つかまりやすいよ」とアドバイスしてあげなかった。

・ サールナート ★★


仏教の4大聖地の一つであるサールナートはヴァラナシから車で30分程度の場所にある。

ブッダガヤーで悟りを開いた仏陀が聖者の集まるヴァラナシをめざした末、ここに落ち着いて、最初の説法をしたとされている。その時に耳を傾けたのは、5人の弟子たちと、森に住む鹿たちだったとか。宿にあった手塚治虫の"ブッダ"のそのくだりを読んで気分を盛り上げる。1年ほど前に再読したこの漫画であるが、やはりご当地で読むとまた実感力が高まる。

ここは、相当に気持ちを盛り上げていかないと、"芝にねっころがるのが気持ちのいい小さな遺跡"で終わってしまう。仏教を愛する私が気分を盛り上げていっても、それで終わってしまった。


しかし、鹿が説法を聞いて感化されるなんて話は、真実だったとしても伝承しないほうが、より仏教を愛せたかもしれない。

・ 黄金寺院(ヴィシュワナート寺院) ★★★


黄金寺院と言われる聖地中の聖地。その名の通り、1トンの黄金で固められた塔がある。ここの警備は今まで見たどの観光地よりも厳しい。エルサレムよりも、である。ほぼ何も持ち込めないので預け入れをし、さらに二人のボディチェック。そうしてセキュリティをくぐっても、残念ながらヒンドゥー教信者以外は寺院の中に入ることができない。外壁の上から見られる部分を拝んで終わり。確かに黄金色の塔があった。


雰囲気も装飾も素敵そうな場所で残念であったが、確かに観光客に大切な場所と時間を荒らされないように守ることも大事だろう。

それを思い知るためにここに来るのも悪くない。






・ 火葬場 マニカルニカー・ガート ★★★★★


火葬場に路地側から陸路で行く。道は入り組んでいて、誰かに聴かないとまずたどり着けない。周囲の路地にはヒンドゥーの象がたくさん置いてあり、ネパールのカトマンドゥ周辺と似たような雰囲気であった。ガイドしたい人が「カソーバ?」とか「burning place?」とかいって声をかけてくる。振り切って着いた場所はあまり観光客のいないところ。


そこから火葬を眺めていると、少年がやってきて「その場所は観光客に開放されていないからこっちへ来い」という。いくと面倒なことになるのは知っていたが、少しだけつき合う。彼はがらんどうの家の3階に連れていく。


そこには老婆が独り寝ている。そこから火葬場を見下ろしていると、彼はここはホスピスで、この老婆は死を待っているが薪代を必要としている、という。なるほど寄付したくなるストーリーだが、こんな建物で、しかも独りしか人がいないホスピスなどあるまいよ。これは、ここはホスピスなどないし老婆と少年はグルで、逃げられない場所に追い込んで法外な薪代を要求するという詐欺である。宿にあった情報ノートで知っていたので、途中で仲間が登場して雰囲気があやしくなったときに2Rpだけ老婆に渡してダッシュで逃げた。大声出しながら追いかけてきたけれど、すぐに人のたくさんいる場所にいけるので怖くも無い。


しかし、いかにももう死を直前にし、「もうここで死んで焼いてもらう以外に本当に欲なんてないんだろうなあ」というように見える老婆が、外国人から法外な金を巻き上げる詐欺の片棒を担いでいるなんて、いったいどこまでインドなんだ、と思わせる。


そして、観光客の多い場所に行く。配慮してか、皆、現場から距離を置いたところで見ている。そこで私も、他の人と同様に、人間の焼けていく様子にかなり長い間、釘付けになっていた。白い布に覆われた死体が重ねられた薪の上に置かれる。その上に炭と籾殻のようなものを撒いて、火をつける。燃えるのには時間がかかる。布が焼け落ちると顔などがはっきりと見える。人だったものが物質になってゆくのをただただ見ていた。炎のすぐ横を飾りであった花や燃えていない藁を食べに来る牛、ヤギや犬がうろついている。凧揚げに興ずる子供たちはここにもたくさんいて、糸が燃えてしまわないか心配になるシーンもたくさんあった。

一時間半ほど呆けていたところで、一人のインド人が話しかけてきた。「これを見てどう思う」という難しい質問を投げてきた。どう答えていいのか全く分からず「それに答えるのは難しい」と素直に言った。すると「どう難しいの」と意外な追求が来た。実際のところ、思考は働いておらず、すぐに言語化できるような何かその時に何もなかった。「難しい」と言っているのだから何も答えないことで回答になるのではないかとも思ったが、彼がずっと答えを待っているので、「こういうシーンは今まで見たことがなく衝撃を受けている」と最初に浮かんだ、その場しのぎだけのまったく適当な回答を口にした。


今までどんな回答を観光客からもらったのか、私が逆に聴きたいくらいだった。


彼は私の滞在期間をたずね、それに「それだけではだめだね。ヴァラナシを理解するには、長い日数が必要だ」とまた返してくる。


観光客をカモにするやつらを振り払いながら長い時間こういう景色を眺めれば何が分かるというのか? 現地の言葉も分からず、現地の生活もせず、まったくすべてが違う国に家のある我々がここで日数を重ねたところでどうなるのか? これもまた、尋ねてみたかった質問だ。


さて、彼はそののち先に私が絡んだあの少年たちは嘘つきだから要注意だとか、火葬はもっと近くで見ても遺族は気を悪くしないよ(なぜなら君たちはゲストだから)とかいう情報をくれた。でも、結局最後には今、聖人が来ていて手相を見てもらえるよ、という話に。まったく押しつけがましくなかったが、観光地で占いを誘ってくる人は要注意であるということはよく知っている。お前もかという感じである。これをきっかけに帰ることにした。彼がこなければもっとずっと呆けていたに違いないと思う。


去り際に、火葬現場のすぐ近くにいたインド人達にちょっとこいよ、と声をかけられた。興味深い話を聴けるのかもしれないが、最後にはすべてお金の話に行き着くことにそろそろうんざりしてきたのでスルーして日の暮れた街を宿に引き返した。


・ 電車チケットの予約


電車のチケットを予約しに、外国人専用窓口に行く。ここは部屋になっていて、エアコン着きでふかふかの椅子に 座って待てる VIP な環境。しかし、進み方が尋常でなく遅い。私の前に2組の待ちがあっただけなのに、その発券処理が終わるのに、数分の停電を挟んで1時間近くかかったのだ。私は分はもう電車が決まっていたのだが、それでもお釣りがないとかで処理に5分かかる。きっと前の人たちは旅行相談所的なことになっていたんだろう。待ち人の量の増加に気を遣ったほうがよいのではとも思ったが、まあ、時間の惜しい人はこんなところに来ないでネットか旅行代理店で調べて予約するだろう。ここに来るのは、チケットの窓口予約自体を旅の1プロセスとして求めている人や、あるいは、他の旅人との出会いを求めている人などだろう。


・ ヴァラナシ 最終感想・沐浴


ヴァラナシに来たからには沐浴をしなければという話もあるが、私はしなかった。水質が沐浴に適していないことは実証されているし、沐浴後に体調を崩した旅行者も多くいる。今回は短期旅行なので足止めはされればそれで終わりになってしまう。移動が多く疲れ気味で抵抗力も落ちているだろうから、リスクは取りたくない。そして、リターンである「それまでの罪が洗い流される」についても、私は輪廻を信じているわけでもないし、それがあるならむしろ罪は背負っていくべきだし、欲しているわけでもない。

経験として興味がないことはもちろんないが、やめることにした。


しかし、ヒンドゥーにおいて罪とはなんなんだろう、と思った。インド人は嘘をつくことに関しては日本人ほど罪と思っていないというのは、いくら観光客がそういう人にとりわけ取り囲まれるとしても事実と感じる。悪い外国人からお金を取り返すのがより崇高な目的を達成するための必要悪とでも思っているのかもしれない。かくいう自分が、自己防衛として頻繁にウソを言っているように(宿は予約済み、とか、こないだ乗ったリクシャーはxxRpでそこまで言ったよ、とか)。いずれにせよ、宗教が分からないと理解しづらいものがたくさんある。もう少し勉強してから来ればよかった。


ここヴァラナシでは、母なるガンガーの懐に抱かれるために遠くから人が集まり、沐浴をし、死を待つ。コルカタのカーリー寺院では今でも毎日ヤギの首を刎ねる生け贄の儀式が捧げられている。
彼らはその行為によって神から実際に何かを与えられているのか。我々が考えるような物質的な、観測可能な観点ではきっとノーだろう。しかし、それらの行為の是非に疑いのない世界の中に浸り生きることができた人にとって、宗教に生きることそのものが心の支えであり、幸福の源泉となる。人は神に祈ることで幸せをさずかるのではなく、祈る行為自体が幸せの形なのだ、と思う。

そういう幸せをとてもたくさん見ることに、見せ付けられることになった、ヴァラナシであった。


以上は、ヴァラナシを出てからの感想である。実際にその地にいる時には、様々な勧誘が待ち受けており、河畔で気分に浸ることは難しい。聖地を食いものに観光客を狙う人々のために、絶えず緊張を強いられる。誰かが話しかけてくれば、最初は高尚な話でも最後は金くれや話に落ち着く。やれやれな世界ではあるが、聖も俗も、人も動物も、めちゃくちゃに入り混じった世界。それがヴァラナシの魅力なのだろう。



インド of インドとでも言えるようなここを、旅人の多くがインドでどこよりもこの場所を旅先として勧める理由が分かった気がする。タージマハールの感動は他の場所でも味わえる種のものであるが、ヴァラナシで味わえる感覚は、他のどの場所でも得がたいものであるからだ。


・ ヴァラナシで出会った人達


・ ヴァラナシで出会った人達1 「ぼけぼけの旅行者」

2日目の夜、独りで夜ご飯を食べ終えると、その出口で、昼の駅のチケット予約場所であって待ち時間に少しだけしゃべった日本人の一人旅女性に偶然あった。彼女は「私、ここに泊まっているはずなのに違う!」と意味の分からないことを言って途方に暮れている。話を聞くと、ガイドブックにも乗っているそのゲストハウスに自分は宿を取ったつもりでいたが、どうも実際は違うところに泊まっているとのこと。どうも、リクシャーに頼んだその場所と似た名前だけれど違うところに連れていかれ、それに気付かずに宿を取っているようだ。



二泊目の夜にしてようやくそれに気付くぼけっぷりに関心したが、聴くとやはりこれまでも散々やられてきたようだった。夜の独り街歩きは迷いやすく、女性一人では気持ちのいい散歩気分にもなれない場所なので、その宿を探す旅に付き合うことにした。聞き込み回数数知れず、途中で結婚式会場などに紛れ込みつつ、結局、メインガードから徒歩 30分の僻地にそれは見つかった。

彼女はやっとインドで人を疑うということを覚え始めたようだった。無事宿にたどり着くと、そこから私が見えなくなるまで長い間手を振ってくれた。

2008年12月8日月曜日

インド: アーグラー

・ アーグラー行きの最新鋭電車
さすがインド最速?電車。スピードは結構出ている。たった2時間ばかしの道中で水、お茶、新聞、軽食、朝食、と次から次へとサービスが続き、飛行機のよう。しかし、インド旅行が終わった今思うと、この電車の一番すごかったところは始発とはいえほぼ定刻に出て、しかも 30分(+25%)しか遅れなかったことか。

・ 世界遺産週間
デリー2日目、とある世界遺産に入ろうとしたが、チケットオフィスが閉まっている。

その日からインドは世界遺産週間というキャンペーンをはっておりで、入場料が不要だといわれる。
なんとラッキーな時期に旅行組んだんだろう、とルンルンで次の日に行ったタージマハール(外国人入場料入場料 750Rp を誇る)に行くと、チケット売り場が普通に稼動している。
実はこれ、世界遺産"週間"なのに入場料が無料なのは初日だけという、C○T○BANKの広告的な仕様だったのだ。
初日後の6日はいったい普通の日と何が違うのか、結局どこに行っても分からなかった。 リクシャーの運転手との「お前はラッキーだよ」「何を言いたいか知ってる!」という会話も2日目の朝で終了。

主に見たところ(星は5点満点オススメ度)

・ タージマハール ★★★★★
タージマハールでは外国人料金を払うと、ミネラルウォーターと建物の上で靴を脱がなくて済む靴カバーが付属する。余計なお世話である。靴カバーはいらないと言うと「ただなのになんでだよ」「ゴミになるから。裸足でいい」と返しても「いや、汚れるよ、お金とらないよ」としばらく追いかけられた。

さて、肝心のタージマハールであるが、最初に門の向こうに見えるときには「おお、散々写真やテレビで見てきたあれだ!」という感激がある。大きく均整の取れた建物は世界一美しい建物の一つと言われるだけあると感じた。
が、意外と近づくに連れてつまらなくなる。近くに行くと、ついつい細部の装飾などの作りを個別判定をしたくなってしまう。しかし、そのどれも過去に見てきた遺跡に対して独り勝ちをするわけではない。それで、期待が大きすぎただけに少しがっかりする。とはいえ、庭園含めてトータルで見て素晴らしい場所であることには相違ない。

というのが当時の感想だが、写真を見返すとやはり極めて美しいなあ・・・。
世界一絵になる建物の一つであることには相違なさそうだ。

・ アーグラー城 ★★★
ここにタージマハールの後に行くのはよくない。
大規模(半分は軍の施設なので見ることができないのが残念であるが)と建物の美しさ、内部装飾、遠くに見えるタージマハール、と悪くない要素がそろってはいるのだが、タージマハールの後ではなんだか印象に残りませんわ。
アーグラーでは最初にここに来て、タージに想いを馳せてから移動するのが吉。

・ ファテーブル・スィークリー ★★★★
アーグラーのバス停からバスで1時間ちょいかかるが、他の見所を打ち捨てて行った甲斐があったと思う。期待よりもよかった。

ローカルバスの終着点からはその立派な門が見え、期待が高まる。しかし、行き方がいまいち分からない。適当に歩んで行ったら迷った。そうしたら、地元の自称学生(以降ネタバレながら"偽学生"と呼ぶ)が案内してくれた。彼は「今、ハイスクールの学生で英語の勉強をしたいから、お金は取らないからガイドをさせて」という。絶対違うと分かっていながら、ガイドがあってもよいと思ったので追い払わない。
歴史ある街にありがちな見渡しの聞きにくい細い路地が続くので、おかしなところに連れ込まれていないかを確認しつつ、彼についてゆくと、無事に門にたどり着いた。

素晴らしかったのは無料のモスク地区の方だった。高台にそびえる巨大なブランド門と壁面の透かし彫りの精巧さ。タージマハールほど人もいないし、周囲の田園風景に溶け込んでいく周辺部で過去の都に想いを馳せつつぼんやりするのにもよい。

モスク地区を案内してくれた偽学生によると、ここからアーグラー城まで 40kmにも及ぶ地下通路があり、しかもその大きさは馬車が通れるという信じがたい話(しかし彼は 2km地点までは行ったことがあると言っ ていた)や、ひんやりした風が送られてくる天然のエアコンの場所や、たたくと周囲に音が響く壁など、一人で見ていては分からない面白いことを色々と教えてくれた。

象の鎮魂のために立てられた、多数の象牙が刺さった塔なども面白かった。
その辺りで、インドの子供たちの遠足集団に合う。数人が寄ってきて、私と写真を撮りたがると、全員がわっと寄ってきて混沌状態に。とりあえず全部の写真を取り終えて退散しかけたところで偽学生が子供の数人になんか言ったら「キャー」って女子学生たちが寄ってきて腕を組んできたりして、ちょっと困ったなという素振りをしつつ悪くない気分になっている自分に困った。
どうやら偽学生は「この人は日本の映画スターなんだよ」と言ったらしい。

偽学生は「ねえフレンド、もうこれでファテーブル・スィークリーは終わり。帰ろう。チップはいつも150〜200Rpくらいもらっているんだ」とか訳の分からないことを抜かす。

T「(聞こえなかったふり)あ、ところで、年は幾つなの」
偽「20歳」

インドでハイスクール生徒といえば日本の高校生より若いはずだ。彼は嘘に整合性をもたせようという努力はしないらしい。
最初から「自分は資格はないけれどガイドができるから、気に入った範囲でお金をくれればいいからやらせてくれ」と言ってくれれば、それなりに敬意を払えたが、下手な嘘と押し付けがましさがちょっと残念だった。

チップは少しはあげるとして、有料ゆえに目玉と思われる宮廷地区を見ずにここは去れない。宮廷地区も見ていくよ、というと

偽「あそこはアーグラー城と同じだからつまらない。お金の無駄だよ。それにもう16:30で終バス。逃したらアーグラーに帰るのにタクシーで700Rpかかるよ」
T(16:30とは、今が16時なのを見越して作り上げそうな時間だ)「いや、降りた時に地元民に帰りのバスは 18時まではあることを確認したし、ガイドブックにももうちょい遅くま であると書いてあるよ」
偽「ねえ、フレンドである俺とその人のどっちの話が信じられると思っているの?」
答えは決まっているだろうよ。
まず、フレンドじゃないし。

T「せっかくここまで来たから見ていくよ。帰りはタクシーでもいいや。」
とさよならすると、宮廷地区の入り口で認定ガイドや窓口でバスの時間を聴く。情報はばらばらだったけれど、18時くらいまではありそうだったので入ることに。
認定ガイド(この人の話は後述)の話によると、偽学生は「認定」でないので有料地区は入ることができないそうで、それでもう私を帰らせようとしていたのだった。偽学生には見合うだろうチップを払って、入場する。

有料地区の宮廷地区もそれなりに広く、装飾や作りも立派なものであった。少しネパールのカトマンドゥ周辺を思い出させる感じの造りであった。(ガイドがあったらもっと楽しめたかもしれないが、まともなガイドが見あたらなかった)。

・ ファテーブル・スィークリーからの帰り道
見終えるともう夕暮れ。外国人観光客はもう見当たらなくなっていた。

17時頃に街に降りて、バスを待っていると、宿で働く数人の客引き青年がやってきた。「ごめん、もう宿はアーグラーで取ってあってバスで帰るからまた今度きたら泊まるよ」と言って追い払おうと思ったが、暇らしく色々はなしかけてきて写真を撮ったり撮らせたり、私の腕時計をはめさせろと言って来たり(彼は宿の名刺もくれていたし「信用しろ」というのに賭けてはめさせてあげた)、と戯れながらバスを待っていると、偽学生がまたやってきて挨拶をしてくる。「16:30が終バスだよ」と言ったこと、覚えているのかな・・・。

17時と17:30には来るというバスは両方来ない。もしかしてバスはもうなくて「バスはないからうちの宿に泊まれ」という展開?と疑いつつあった。
彼らは「来ないね。立ちっぱなしもつらいだろうからお茶でも飲んで待てば」といって、バスを見逃さない場所にあるチャイ屋に連れて行ってくれた。チャイに変な混ぜものしていないかなど過程を凝視しつつ、注文したチャイを飲んで待つ。ちょっと座ると彼らはもう帰らないと、と行ってしまった。彼らは悪い人ではなかったと少しほっとした。

しかしバスは本当に来るのか?
チャイ屋の主人曰く「18時には最終が来る」と言うが、来ない。

「バスはよく遅れるし、よく来ないんだよね。バスも色々と大変なんだよ。」などと彼はのんびりしているが、もう周囲は暗い。

18時を過ぎると彼は「もうバスは来ないね」と不穏なことを言う。
T「え、また遅れているだけじゃないの?」
チャイおやじ「impossible!」

・・・なんだか今日はだめらしい。

しかし、当然 700Rp のぼったぐりリクシャーなんて乗る必要は無い。
チャイ屋の主人の勧めにより、乗り合いオートリクシャー(2Rp)でバイパスまで出てそこでアーグラーに向うミニバス(20Rp)に途中乗車。周囲の人は協力的ですんなり。最初からこうしていればよかった。ミニバスの中はマリファナのと思われる煙に満ちていた。そして、誰かのやぎが通路をふさいでいて、そのせいで奥に行けない人がいて混乱気味。私も頑張って奥に進むも、すれ違うときにそのやぎに足舐められた。やぎは揺れるバスに疲れたのか、持ち主でない乗客の足に頭を乗っけたりしていたが、置かれている方は気にする様子も無い。

バスはやがてアーグラーに着いたが、期待していたバス停と違う。

困ったなと思っていると、すぐに乗客が「どこに行きたいのか」と聴いてくれた。その場所を告げると、ああそこなら「トゥクトゥクで 5Rp」と。リクシャーで 5Rpは現地料金としても安すぎると思ったが、それを材料に数人と交渉すると 30 以下にはならない。5Rp では鼻で笑われる。あれ、やっぱり。。。と困っているとバスの乗客が戻ってきて ついて来い という。どうやらトゥクトゥクというのは乗り合いリクシャーのことだったようだ。なるほど。そこそこの距離を乗りあって、ようやく目的地に。
慣れない街の夜なので降りる場所も独りでは分からなかった。この道中はたくさんの人に親切を受けて嬉しかった。

向こうから声をかけてくるインド人でも親切な人はいるんだなあ・・・と、この旅で最初で最後?に思った。

夜行を待つために取った宿に戻ってご飯を食べ、シャワーなどを浴びる。

夜行は 23:30 発。夜は危ないのでと、駅までは5分ほどだが、宿の人が一緒にリクシャーに乗ってきてくれた。ありがたい。

「アーグラーではタージマハールが汚れないように工場が強制閉鎖されたりして、職を失った人がマフィア化し、観光客の危険度は北インドでも最悪だ」という話をデリーでは聞かされていた。まあ、この話は「だからうちのツアーに乗れ」と続いたのでどこまで真実かは分からないが。

しかし、むしろインド人の優しさに触れて平和な気分になったアーグラーであった。

アーグラーで出会った人達

観光地のガイドは、誰かのガイド終了後に自分への推薦状を書いてもらい、他の観光客を勧誘する時に活用しようとする。アーグラーではこの傾向が強く、リクシャーの運転手もガイドもこぞって日本語で書かれた自称「日本人の友達がくれた手紙」を見せてくた。

・ アーグラーで出会った人1 「自分のひどさを証明するリクシャー」
駅からバス停への移動をお願いしたリクシャーワーラー運転手。「ねえ、僕はいい人だからこの後も一緒に観光地まわろうよ。ほら、日本の友達もたくさんいて手紙をくれるんだよ」といって見せてくれたそこには
「この人は金に汚い。まあ、並みのインド人ということだけれど。地球の歩き方に書いてあるようなトラブルに巻き込まれたくなければ"非"○○さん(彼の名前)をお勧めします」
というようなことが書いてあった。
最初から「バス停に直行してそこで終わりにしなければお金を払うつもりはない」といい続けたので、特に何も起こらなかった。

・ アーグラーで出会った人2 「自分のひどさを証明する認定ガイド」
ファテーブル・スィークリーの宮廷地区入り口にいた認定ガイド。「ねえ、僕はいいガイドだから雇ってよ。200Rp、いや150Rpでいいよ。ほら、日本の友達もたくさんいて手紙をくれるんだよ」といって、数日前の日付と日本人女性の名前の入ったそれを私に見せる。そこには、
「ガイドは100Rpといっていたのに450Rp請求された(数字部分は漢字で書いてある)」
「土産物屋に連れ回された」
「"このあとやろう"と言われた」
とか、悪いことしか書いていなかった。

もちろん断って、独りで中をまわる。出てきたところ、また彼が近づいて来る。そして、この推薦状、なんて書いてあるか全訳してくれないかとお願いされた。
この推薦状で客が取れたことがないので、きっと内容を疑っているのだろう。被害者を増やさないよう、この推薦状は是非このまま使い続けて欲しいので、「フレンドリーでいいガイドだと言っているよ」と適当に言う。しかしそれで済むほど文章は短くなく、彼は「全部訳して」と言う。やる義理もないのだが、適当な文章を作って聴かせた。

それは彼を傷つけないようにと、被害者を減らすためと思って自然にやったが、それは間違いだったかもしれないと後で思った。

彼はおそらく、ガイドされる人が何を嫌と感じるのかに気づいていない。もしも、気づいていれば、彼女に推薦状を書いてもらうのは間違いだと知っているはずだろう。長期的で前向きな私の対応は、中身を全部正直に訳して、「少なくとも日本人の価値観でこれらは喜ばれないからやめたほうがよい」と説教たれることだったかもしれなかった。